ローリングが生活保護をもらっていなかったらハリーポッターを執筆する時間はなかっただろうし、女子大生のシンプソンさんが「自分で産んだ子なんだから自分で育てなさい」と言われてジョブズ家に養子に出せずにいたら息子のスティーブを大学に進学させることはできなかっただろう
— Twitter / aag95910 (via toronei)
興味深かったのは全編ドキュメンタリーの3回目で、これを観ればほかはいいかもしれないぐらい。警察が各県警単位で、部分的にはオウムのサリン製造に迫っていたこと。しかし、県警上層部も警察庁も慎重な態度をとり、結局サリン散布が起きた過程を追う。とくに松本サリン事件で、県警内部に化学捜査班があり、そこではやがてえん罪となる通報者について、個人ではできない、集団の仕業だと上層部に報告していたくだりは、警察内部の複雑な意思決定過程を思わせる。
なぜ、散布前に強制捜査できなかったか、止められなかったのか、というのが番組のモチーフでもあり、そういう意見もあるという。が、だとしたら警察だけではなく、サリン残留物の捜査などをすっぱ抜いてオウムを焦らせたマスコミにも責任はある。オウム報道において、日本のマスコミの、噂レベルで偽善的正義を振りかざす醜悪ぶりはひどいものだった。
それに、だからといって警察に大胆な執行を求めるのは、かえって危険だろう。また、悔しいのは被害者だけではなく、警察現場もそうであろうと思う。
— NHKスペシャル「オウム真理教」:夏目房之介の「で?」:ITmedia オルタナティブ・ブログ (via toronei)
1~2回は、ドラマ部分が多く、これは3回目と比べて、面白くなかった。とくにドラマの主人公となるNHKの取材者が浅く、視聴者への言い訳のために作られたのかなと思う。
目的のために人を殺すのが宗教なのか、と元信者に迫る場面があるが、まあ実際にそんなことをすれば被取材者の心は離れてしまうので、いい取材ではない。問題は、そんな宗教は世界中にいくらもあるし、宗教が集団である限り、イデオロギーや民族主義と同じように、いつでも内部に過激な集団を生み出しうることだ。その集団が自らを抑圧され疎外されていると信じるのであれば、人は人を殺すし、殺人は集団内で正義になる。集団が国家や民族であれば、それは戦争になる。戦争で人を殺すことを問わず、オウムが宗教であるから「殺す」のはおかしいと、宗教として否定するかのような議論を持ち出すのは、ジャーナリストとしては不勉強ということになるだろう。
ドラマ部分は白々しく、いらなかったのではないかと感じた。
— NHKスペシャル「オウム真理教」:夏目房之介の「で?」:ITmedia オルタナティブ・ブログ (via toronei)
[video]
[video]
Keiichi Tanaami
(via nemoi)
(via nemoi)
以前、アパレル専門店に勤務していた時に、サイズ統一問題に取り組んだことを思い出しました。
複数の仕入先から仕入れた同じ服種の商品、例えばシャツについて、同じMサイズでも、商品によって袖丈のばらつきがあり、苦情が多かったためです。
最終的に、販売するこちら(小売)側がサイズ基準を作って各社統一、事情により違うサイズで仕入れる場合は、その商品特性をお店側に伝え、接客でカバーしてもらったものでした。
— アパレル業界のネット販売の常識は非常識? | ファッション流通ブログde業界関心事 | 2012年05月29日 | Fashionsnap.com (via otsune)(via otsune)
(Source: basturmater, via ak47)